仏教における三毒の話の3つ目です。
これが最後になります。
仏教における三毒「貪瞋痴」の『痴』です。日常で使う言葉で、「愚痴」のことです。
愚痴を言う人はあんまり気にしていないかもしれませんが、愚痴を聞かされる周りは、ほんとたまったものではありませんよね(苦笑)
しかし、愚痴をこぼさずにいられない人には、それなりの理由があるのです。たとえそれがなんの得(徳)にならないとしても…。
愚痴が周囲に与える影響
まず、率直にいって、愚痴を聞かされる方がたまったものではありません(笑)
それに職場で愚痴ばかりをこぼしていると、周囲から迷惑がられ「いつも愚痴を言う人」のレッテルを貼られかねません。また、愚痴というかゴシップなどが飛び交うような職場というのは、雰囲気良くありませんよね。生産性も上がらないでしょう(汗)
したがって、愚痴というのは、それを話している人にとっても、それを聞く側の人にとっても、利になるようなことがありません。
愚痴への対策
そこで対策です。
まず、第一前提としてこれだけは理解しておいてください。
愚痴は外に出さなければ、万病のもとになる。だから発散すべき。
ただ、時と場所を選ばずに発散するから厄介なのです。
愚痴を言いたい人の対策
- 愚痴をノートに書き連ねる
- 愚痴を言える場所・人を見つける
愚痴を聞かされる人の対策
- まず聞く。そして聞き流す
- しかし、適当な相槌は地雷になりうるので注意
- アドバイスは不要
- ユーモアをもって愚痴を昇華させる
上記の対策については、説明が必要ですが、それがまたいずれ触れなければいけませんよね。
三毒を追放して得られるもの
三毒というのは実体がないものですが、じわじわと私たちの心と体を蝕んでいきます。三毒から解放された精神というのは、本当に自由だと思います。
三毒の話を書いていて、つくづく思い出す言葉は前回に書いた「人を呪わば穴二つ」です。別の言葉で言い換えると、「因果応報」です。
人が喜ばないことをしていると、それは翻って自分自身の身に返ってきます。逆に、人を喜ばせることを続けていると、今度はまわりの人々がこちらを喜ばせてくれるようになります。この世はそういう仕組みで回っているのですね。