仏教における三毒の話(その三)

投稿者: | 2015年5月14日

仏教における三毒の話の3つ目です。

これが最後になります。

仏教における三毒「貪瞋痴」の『痴』です。日常で使う言葉で、「愚痴」のことです。

愚痴を言う人はあんまり気にしていないかもしれませんが、愚痴を聞かされる周りは、ほんとたまったものではありませんよね(苦笑)

しかし、愚痴をこぼさずにいられない人には、それなりの理由があるのです。たとえそれがなんの得(徳)にならないとしても…。

愚痴が周囲に与える影響

まず、率直にいって、愚痴を聞かされる方がたまったものではありません(笑)

それに職場で愚痴ばかりをこぼしていると、周囲から迷惑がられ「いつも愚痴を言う人」のレッテルを貼られかねません。また、愚痴というかゴシップなどが飛び交うような職場というのは、雰囲気良くありませんよね。生産性も上がらないでしょう(汗)

したがって、愚痴というのは、それを話している人にとっても、それを聞く側の人にとっても、利になるようなことがありません。

愚痴への対策

そこで対策です。

まず、第一前提としてこれだけは理解しておいてください。

愚痴は外に出さなければ、万病のもとになる。だから発散すべき。

ただ、時と場所を選ばずに発散するから厄介なのです。

愚痴を言いたい人の対策

  1. 愚痴をノートに書き連ねる
  2. 愚痴を言える場所・人を見つける

愚痴を聞かされる人の対策

  1. まず聞く。そして聞き流す
  2. しかし、適当な相槌は地雷になりうるので注意
  3. アドバイスは不要
  4. ユーモアをもって愚痴を昇華させる

上記の対策については、説明が必要ですが、それがまたいずれ触れなければいけませんよね。

三毒を追放して得られるもの

三毒というのは実体がないものですが、じわじわと私たちの心と体を蝕んでいきます。三毒から解放された精神というのは、本当に自由だと思います。

三毒の話を書いていて、つくづく思い出す言葉は前回に書いた「人を呪わば穴二つ」です。別の言葉で言い換えると、「因果応報」です。

人が喜ばないことをしていると、それは翻って自分自身の身に返ってきます。逆に、人を喜ばせることを続けていると、今度はまわりの人々がこちらを喜ばせてくれるようになります。この世はそういう仕組みで回っているのですね。

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