日付が変わって昨日の話になりますが、東日本大震災から6年が経ちました。
6年前の3月11日になる1週間前に岡山県中小企業家同友会が主となり、第41回中小企業問題全国研究集会(岡山全研)がグランヴィア岡山で開催されました。
僕自身、その会場で全国から来る中小企業の経営者の方々を囲んで、グループ討論の舵取り役をしていました。
僕のいたグループにちょうど福島県からの経営者の方が2名いらっしゃいました。このときには、1週間後に起きる出来事のことなど、つゆほども想像していませんでした。
岡山全研が無事に終わり、1週間が経ちました。会社の2階で仕事をしていたら、地震が起きました。規模は小さいものの、2階にいたためにそれなりの揺れを感じました。
気になってすぐにテレビをつけてみると、福島をはじめとする東北地方でかなり大きな地震が起きていたことがわかりました。地震が起きて、その30分後には津波が街に押し寄せて、あらゆるものを一瞬にして破壊していきました。その夜、津波で街が壊されていく映像が何度も何度も流れていたように覚えています。
翌日、心配になって岡山全研のときに名刺交換した福島の経営者の方々に電話をしました。電話が繋がらなかったので、メールを送ったり、ハガキを書いたりしました。すぐには返事が来ませんでしたが、状況が落ち着いたところで連絡をもらってひと安心しました。
岡山にいると、あの地震が引き起こした出来事がどんなものだったのか忘れてしまいがちです。あの日の出来事は遠い場所で起きたことではなく、私事なのだと思い出すために、3月11日にはYouTubeで当時のことを見たりします。そこには目を背けたくなる現実があります。でも、目を背けてこの事実から逃げることは、絶対にしてはいけないことなのだと思います。
津波が街中に押し寄せて、懸命に走って逃げる人々。そして、高台から「早く逃げて!!」と叫ぶ人々。逃げそびれた家族が流されるのを目の当たりにした人もいると思います。もしこれが自分自身の身に起きたことだと想像すると、悲しみに打ちひしがれてただ呆然としてしまいます。もしくは、悲しみで狂ってしまうでしょう。
逃げ延びることができた命がそこにはあって、必死に高台に駆け上がれば助かったはず。同じ小学生でも、親が学校に迎えに来て一緒に逃げた家族は津波に流され、校長先生の判断で学校の裏山に駆け上った子どもたちは助かった。
そんな話をこの時期によく聞きます。
東日本大震災で命を落とされた方々のご冥福を祈ります。
そして、被災地が1日も早く、被災地であったことが過去になるよう願います。
しかし、最も大事なことは、そこで何が起きたのかを後世に伝えていくことだと思います。書物に記すだけではなく、言葉で語り継いでいく。
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p dir=”ltr”>語り継ぐことで、後世に大切な智慧を残していけるのだと思います。